1970-1971年度に、ロータリー財団「職業研修プログラム」に参加し、カナダ・ブリティッシュコロンビア州ブリティッシュコロンビア工科大学(BCIT)に派遣され、
日本ロータリー学友会の前会長であり、現在は監査役を務められている松下衛さんよりお話を伺いました。
ロータリー財団奨学金のプログラムに応募したきっかけを教えてください。
私は、大学生の頃から、ホテル業に関心があり、大学在学中からホテルに実習に行っていました。
当時、卒業後は、ホテルに就職をしようと考えていましたので、大学は外大の英米語学科に入学をいたしました。大学卒業後の1964年に、目指していた神戸のホテルに入社させて頂きました。
働き始めて数年後の1968年に、勤務先ホテルの専務取締役が、ロータリアンであり、地区役員をされていたこともあって、同地区で計画されていたロータリー財団「職業研修プログラム」への参加を誘っていただきました。
このプログラムは、職場の承諾を得て、現在している仕事について、海外の大学に留学して深掘りする内容のプログラムでした。「職業研修プログラム」に参加するのには、条件があり、①職業を持っている事②その会社の承認がいる事③プログラム終了後その会社に復帰する事等がありました。
ロータリー財団からは、滞在費や学費、往復の旅費、語学研修費、体験のための小旅行費等出してもらえることになっていました。当時の為替レートは1ドル360円であり、外貨の持ち出し規制があり、1000ドルまでしか持ち出しすることができませんでした。大変有り難い事に、務めていた会社から全面的な支援をいただき、一年間の休職扱いにしてもらえたうえ、一年間の休職手当を先払いでいただき、それを留学時の費用に充てる事ができました。
「職業研修プログラム」の相手方となる504地区(当時)は、米国シアトルの北側から、カナダのブリティッシュコロンビア州、米国アラスカ州までカバーする大きな地区でした。現在は第5040地区に分割されています。
留学先となる大学をどう選んだか、ですが、現在のようにインターネットもありませんし、当時はほとんど情報がありませんでした。ロータリーから頂戴した小冊子に大学のリストが掲載されており、そのくらいしか情報がありませんでした。そのリストの中には、ホテル業を学べる大学はほとんどなく、唯一シアトル近郊の大学にホテルマネージメント学を教えている学校があったので、志望することに財団からも承認をいただきました。
シアトル近郊の大学に行くための準備をしていたところ、年が明けて、第504地区の当時のロータリー財団奨学委員長のカナダ人から手紙が来ました。手紙の内容は、カナダにホテルについて学べるもっと良い大学があるから、そちらで学ぶことを勧めてくれるとのことであり、手続もすべてしてくれるという話でした。
ロータリー財団本部や大学側への手配も全てしていただき、カナダのブリティッシュコロンビア州の州立の大学(ブリティッシュコロンビア工科大学(BCIT))のホテルマネージメント学科に入学することになりました。(正式名称はBritish Columbia Institute of Technology Hotel Motel and Restaurant 学科)
現在はその学科もなくなっており、ツーリズム学科に変わったそうです。
ロータリープログラムで体験されたご経験で印象に残ることを教えてください。
私は、ホテルマネージメントを学びに留学をしたつもりだったのですが、なぜか、大学では一学年入学することになり、一般教養科目の多い授業が始まりました。
これはおかしいと思い、ホストファミリーに相談し、大学の学部長と面談をすることになりました。学部長に、教養科目は必要なくホテル学について学びたいことを伝えたところ、柔軟な対応をしていただけることとなり、受けたい科目を選択することができ、1年生の授業や2年生の授業など必用な科目の授業を受けさせてもらうことが出来ました。
もっとも、試験は、学年関係なく受ける必要があったので大変苦労しました。
私は、ロータリーのプログラムで、聴講生として参加するくらいの軽い気持ちで留学したのですが、実際はきちんと学部に入学する事とになっていました。試験も多く、成績が悪ければ退学、授業に出席しないと退学、と厳しいものでした。それ以外にも将来のホテルマンになる為に服装はジャケット以上、長髪禁止などもありました。

私が留学に行ったのは27歳の時でした。他の学生も、社会に出てから勉強し直す方等、クラスには同年代の学生が多かったです。
私の留学には、三つラッキーなことがありました。
一つ目は、ホストファミリーに恵まれたことです。
二つ目は、最初に行く予定だったアメリカの大学から、カナダの大学に代わって、そこで学べたことです。
三つ目は、大学での授業について非常に柔軟な対応をしていただけたことです。
一つ目のホストファミリーの事ですが、バンクーバーの隣のバーナビー市にある[バークイットラム]RCにお世話になりました(クラブ名はその後改定される。現在コクイットラムRC)当時創立したての新しいクラブで、創立3年目の記念事業として、海外の奨学生を受け入れることになったそうです。
私が留学した1970年は、大阪万博が開催された年でした。バークイットラムRCのメンバーで大阪万博を訪れたご家族がいまして、旅行会社から、その家族が私に会いたいと言っていると連絡がありました。最初はわからなかったのですが、神戸の和食店でお会いしたら、カナダでお世話になるロータリークラブのメンバーであり、ホストファミリー(当時はクラブ内では未定)となっていただける方だったことがわかりました。
クラブから、せっかく日本に行くなら、今度来る奨学生に会ってこいと会長から言われたらしく、留学前にもかかわらず、ホストファミリー予定者にお会いすることが出来ました。

その時にお世話になったホストファミリーは、2025年現在でも家族同様の付き合いがあり、私はブリティッシュコロンビアを第二の故郷だと思っています
ホストファミリーのママは、まだご存命で、メールの交換をしています。今年9月にも次女と二人の写真を送ってくれました。

コロナ前までは、私や家族はよくカナダを訪れて、ホストファミリーの家に泊まりました。今までずっと私の部屋を用意してくれていたのです。今ではママは自宅を売却して、介護付き老人ホームに入っています。
数年前まで年3回発行されるブリティッシュコロンビア州の地元雑誌を、発行されるたびに日本へ送ってくれていました。ママ曰く「マモルがカナダを忘れないように!!」。クリスマスプレゼントやカードのやり取りもしていました。50年来の付き合いは変わっていません。

このように通う大学がアメリカからカナダの大学に変更になり、授業についても柔軟な対応をいただきました。必要な授業を受けられて、本当に幸せだった。
試験も受けたので、単位も認定され、学年終了に際してびっくりしたのは取得した単位の一覧もいただいたことだった。
試験は60点以上取らないと退学になるので、退学にならないよう、ロータリー財団と会社から二重の重圧がありましたけども。
留学前に、学部長の手筈で、香港出身の先輩から私宛に手紙が届きました。学部長から頼まれたけど困ったことはないか、と手紙には書かれていました。手紙の中で、実は学部長は切手のコレクションが趣味なので、留学に来るときには日本の記念切手を持って来ると良い、とも書かれていました。私も切手をコレクションしていましたので、綺麗な浮世絵の切手等多数持っていき、学部長に初めてお会いしたときにプレゼントしました。このプレゼントのおかげで、学部長は柔軟な対応?をしてくれたのかもしれません。
ロータリー財団のプログラムで留学をして、特に印象に残ったことは、ホストファミリーやロータリークラブに、形式的ではなく、本当に家族の一員として迎え入れてくれたことです。親切にしてくれたし、嫌なことは一回もなかった。
もう一人同じ地区の留学生として、オックスフォード大学から来たイギリス人がいました。

留学生は、504地区内の5つ以上のロータリークラブで、卓話をすることに決まっていました。504地区の留学生は私とそのイギリス人の2人きりだったので、広い504地区を南と北の半分に分けて、南半分を私が担当し、イギリス人が北半分を担当して、二人で地区のクラブを回りました。
卓話では、ほとんどのロータリアンが日本人に会うのは初めてという方も多く、私は持参した着物を着て、当時日本で新幹線が開通したばかりだったので、そのような私の母国日本の話をしました。大変盛り上がりました。

ロータリー体験が現在の活動にどのように影響しているとお考えですか?具体例があれば教えてください。
留学から帰って、ロータリーの職業研修プログラムの仕組みどおり、元の職場に復帰しました。夏休みが終わって職場に戻るまでに少し時間があったので、アメリカの大学でサマースクールに参加する予定をしていたのですが、会社の事情で、サマースクールには参加せずに、日本に帰りました。
1971年に帰国した後、1973年頃から後進の奨学生のために、地区内出身の有志を集めて奨学生OB・OG会(のちの財団学友会)を立ち上げました。その会で、地区のオリエンテーションのお手伝いをしたりして、情報提供をすることにしました。この会が、後に地区財団学友会となりました。
会の目的としては、留学するにあたって、自分自身が情報不足で苦労したので、後進の方たちには、そのような事がないようにしてあげないと、十分に留学を楽しめずもったいないと思ったことです。また、社会情勢によっては危険な国や地域もあります。そのために、留学前に、奨学生や家族の不安が少しでも減らせるように情報の共有しておきたかったのです。
この活動は、当時の奨学生に非常に感謝してもらえました。OB・OGも、自分がロータリー奨学金で留学したことについて感謝の気持ちを持っていたので、声をかけると、すぐに有志が集まってくれました。
学友会活動の中で、ガバナーや地区の委員長と話すことがあったが、学友や奨学金などについてなかなか理解してもらえない事もあった。その改善に少しでも役立ちたいと思ったため、自分自身がロータリー内部から取り組んだ方が早いと感じ、ロータリークラブに入会させて頂きました。地区では、学友委員会や財団委員会に所属をして、内部から支援するような仕組みや助成金の仕組みなどを提案させていただきました。
2011年には、日本ロータリー学友会を有志の皆様と立ち上げました。
当時、財団セミナーなどで、九州の中牟田久敬氏や東京の田中栄二郎氏と話をしていた際に、日本の学友会をまとめた一つの組織を作った方がいいのではという話になり柚木裕子氏、高木直之氏も加わって話が進んで行きました。
2011年創立初代会長が故中牟田久敬氏(福岡学友会)、二代目が田中英次郎氏、三代目が私、四代目が柚木裕子氏、五代目が高木直之氏と続いています。
日本ロータリー学友会は、日本にある25の学友会の取りまとめをしています。上部機関ではなく、統合組織として活動をしています。学友会同士の情報交換や留学する奨学生の支援を行っています。
現在は各地区で総会をするようになり、地区毎に学友会の皆様、ガバナーや学友委員会、財団委員会から大きなご支援をいただいています。
これからロータリープログラムに関わる後輩たちへメッセージをお願いします。
世の中には奨学金は沢山あります。奨学生の選考試験委員をしたことがありますが、ロータリーの奨学金に落ちても、他の奨学金に応募すれば良い、と考えている方も少なからずいました。しかし、ロータリーの奨学金は、他の奨学金とは全然違います。以前、「国際親善奨学生」という名称だったように、あくまで「親善」が目的の一つでした。自分が体験したように、ホストファミリーや、ホスト地区、ホストクラブとの交流やお付き合いが出来るのは、他の奨学金では考えられません。これからこの奨学金を受けて留学する学生には、親善を目指して、もっと幅広く交流することをお勧めしたいと思います。奨学生の選考も、単に優秀な人だから奨学金を与える、というのでは、適切な人材を選考出来ないと思います。ロータリアンが主導する奨学生選考試験に学友にも関わっていただき、面接官や選考に参加させるのが望ましいと思っています。奨学生や学友にも、深掘りで幅広く交流してもらいたいと思っていますが、ロータリアンにも同じことを思っています。ロータリーバッジ一つで世界中に仲間が出来ることには、ものすごい価値があります。そういうチャンスを格段に多く得られる、それこそ、ロータリーの素晴らしい世界だと思います。

![]() 松下衛 日本ロータリー学友会 監査役 神戸のホテルに勤務後、1970-1971年度に、2680地区より504地区(当時)に、「職業研修プログラム」として、カナダ・ブリティッシュコロンビア州のブリティッシュコロンビア工科大学(BCIT)に留学、帰国後に元の職場に復帰 スポンサークラブ:神戸ロータリークラブ 奨学生OB・OG会を設立(現在ロータリー財団兵庫学友会) 2023年度ロータリークラブ退会 日本ロータリー学友会第三代目会長(2020-2024年)、監査役(2025年-) インタビュアー:関端 広輝 (東京愛宕RC) ロータリーファミリー支援委員会 委員長:宮村 和加子(東京広尾RC)副委員長:杉浦 藤一郎(東京あけぼのRC) Rotary Family Voice 編集長:中前 緑(東京米山ロータリーEクラブ2750) インタビュー日時:2025年(令和7年)11月12日(水)21時‐22時 |


