中東政治研究の第一人者であり、現在は千葉市美浜区のジェトロ・アジア経済研究所(IDE-JETRO)で研究員を務めるダルウィッシュ・ホサム博士。かつて東京府中ロータリークラブの米山奨学生として過ごした日々は、彼にとって単なる留学生活の一部ではありませんでした。インタビューの中で語られたのは、恐怖に支配されていた過去、日本で見つけた自由、そして教育に託す故郷シリアの未来でした。
研究の最前線から見つめる、中東の「現在」と「未来」
千葉市の幕張エリアに位置するアジア経済研究所、通称「アジ研」。開発途上地域の経済・政治・社会を研究する世界的な拠点において、ダルウィッシュ博士は中東・北アフリカ地域の「国家と社会の関係性」を鋭く分析しています。
「私の主な研究テーマは、エジプトなどの独裁体制がどのように存続し、あるいは変容していくのかという政治学的なメカニズムです。2011年の『アラブの春』以降、激動するこの地域の抗議運動や政治変動を比較分析し、最近ではナイル川の水資源を巡る国際的な対立についても、地政学的な観点から考察を深めています。」
そう語るダルウィッシュさんの言葉は冷静かつ論理的ですが、その眼差しには、厳しい現実を学術的に分析する知性と、人々の暮らしを慈しむ温かさが同居しています。その独自の視点は、かつて彼が日本で経験したロータリーでの日々から大きな影響を受けていました。
シリアでの日本語学習と「現場主義」への共感
ダルウィッシュさんが日本を留学先に選んだのは、シリアの大学で英文学を専攻していた頃に遡ります。卒業を控えた時期、偶然受講した日本語クラスで出会った日本人講師たちの姿勢が、彼の人生を変えるきっかけとなりました。
「当時、ダマスカス大学で日本語を教えてくださった先生方との出会いは、私にとって大きな意味を持つものでした。先生方の誠実で勤勉な仕事ぶりに触れ、日本の教育に対する姿勢に強い感銘を受けたのです。その真摯で粘り強い教育に対する姿勢は、私にとって大きな刺激となりました。その後、選抜試験を突破して東京外国語大学の交流プログラムに参加し、日本で学ぶ機会を得ました。プログラム修了後、東京外国語大学大学院の平和構築・紛争予防プログラムの修士課程に進学しました。この大学院のプログラムは、私が本格的に研究の道へ進むうえで大きな転機となりました。中東研究を専門とする先生方や研究者、そして同じく中東を研究対象とする大学院生たちと出会い、研究会や日々の議論を通じて、日本における中東研究の進め方を具体的に学ぶ機会を得たのです。欧米では先行研究や既成の理論を手がかりに遠隔から地域を分析することが多いのに対し、日本の研究者は自ら現地に足を運び、言葉を習得し、人々の生活に寄り添いながら地域を理解しようとします。こうした『現場主義』の誠実さに、私は強く惹かれました」
しかし、修士課程の2年目、本格的に研究に没頭したい時期に、避けられない課題に直面します。それが経済的な困窮でした。
「当時は学費や生活費の工面に追われ、精神的にも余裕がありませんでした。権威主義体制の国であるシリアにおいて社会や政治を研究することの難しさを身をもって経験してきた私にとって、日本で研究を継続することは至難の業でした。その時、大学の留学生から紹介されたのが『米山奨学金』だったのです。この支援がなければ、私は修士課程を修了することさえできず、今の道も閉ざされていたでしょう。ロータリーは、私の学問への情熱を繋ぎ止めてくれた、かけがえのない恩人なのです」

東京府中ロータリークラブでの交流:例会と「大国魂神社」が教えてくれた一体感
ダルウィッシュさんの世話クラブとなったのは、東京府中ロータリークラブでした。彼にとって例会に参加することは、学問上の知識を超えて、日本社会の「心」に触れる貴重な学びの場となりました。
「最初は非常に緊張しました。地域の経営者や専門家の方々が、これほどまでに規律正しく、かつ真剣に世界情勢や奉仕について語り合っている。その姿に圧倒されました。同時に、例会で交わされる言葉の端々に、平和への強い意志が込められていることを感じました。例会後の食事の時間には、一学生である私を対等な友人として迎え入れ、『シリアの家族は元気か?』『最近の研究はどうだい?』と温かく声をかけてくださいました」
「特に、私のカウンセラーだった松村一夫さんは、いつも親身に支えてくださり、大きな心の支えとなりました。ご自宅に招いていただき、ご家族やお孫さんをご紹介いただいたことも、温かい思い出として心に残っています」
また、府中の歴史の象徴である「大国魂神社」での節分祭も、忘れられない思い出です。
「裃」を着せていただき、舞台の上から豆をまきました。大勢の地域の方々と『福は内!』と声を揃えた瞬間、外国人である自分もこのコミュニティの一部なのだという、強烈な一体感を感じることができました。単に文化を知識として知るのではなく、人々と共に体験することで、信頼のあり方を教わった気がします」
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「パパが消えてしまうよ」——恐怖の記憶と、日本で見つけた自由の尊さ
インタビュー中、ダルウィッシュさんは、自身の平和に対する想いの原点ともいえる、シリアでの幼少期の記憶を語ってくださいました。
「小学校6年生の時でした。湾岸戦争に関連して、教室で自分の考えを口にしたところ、わずか1時間も経たないうちに父が学校へ呼び出されました。帰宅後、父は私に言いました。『ホサム、そんな話を二度としてはいけない。さもないと、パパが消えてしまうよ。』と。壁に耳がある国。不用意な一言が家族を危険にさらす。私はその時、自分の意見を封印し、感情を押し殺して生きる術を学びました。」
そんな彼にとって、日本のロータリークラブで目にした光景は、奇跡のように映りました。
「誰もが自由に意見を述べ、真剣に議論をし、最後には笑顔で握手をして別れる。この『安心して話せる環境』こそが、平和の最小単位であると気づかされました。平和とは単に戦争がないことではありません。誰もが家族の安全を案じることなく、隣人と信頼を築き、対話ができる状態そのものなのです。それを私は、府中のロータリアンの日常から学びました」
教育という名の希望:シリアの復興に託す想い
現在、ダルウィッシュさんは中東政治の専門家として、後進の育成にも力を注いでいます。その視線の先には、常に故郷シリアの未来があります。
「シリアは長引く紛争によって、国そのものが崩壊し、人々の心もバラバラに分断されてしまいました。内戦の最中に育った子どもたちは、14年、15年と学校に通えず、戦争の記憶しか持っていません。他者への怒りや憎しみに支配されている彼らに、今何が必要なのか。私は、それは『教育』であると確信しています。経済の再建も重要ですが、教育というソフトの面を整えない限り、本当の意味での国づくりは始まらないからです」
ダルウィッシュさんは、日本の戦後復興が、自身の夢の大きなヒントになっていると言います。
「日本もかつては戦争で大きな被害を受けましたが、教育を重んじ、一人ひとりが地道な努力と信頼を積み重ねて社会を立て直しました。シリアもいつか、教育を通じて自分と異なる背景を持つ人を知り、モザイクのように多様な社会を形づくってきたシリアの豊かな歴史を学び直しながら、お互いを尊重し合える社会を取り戻せると信じています。私が日本で、そしてロータリーで受け取った『対話の大切さ』というバトンを、研究と教育を通じてシリアの未来に還元していきたいのです」
これからを担う次世代へ
インタビューの締めくくりに、ダルウィッシュさんはこれからロータリーのプログラムに関わる後輩たちへ、熱いメッセージを送ってくださいました。
「ロータリーは、単なる奨学金制度ではありません。自分の世界を押し広げ、生涯続く人間関係を築くための『パスポート』です。最初は文化や言葉の壁に戸惑うこともあるでしょう。しかし、恐れずに心を開いて、日本のロータリアンの皆さんの懐に飛び込んでみてください。彼らは、あなたの言葉に真摯に耳を傾けてくれます。そこで得られる『信頼』という無形の財産は、学問の成果以上に、あなたの人生を豊かに支えてくれるはずです」
ダルウィッシュ博士の物語は、私たちロータリアンにとっても、自分たちの活動が海の向こうの若者の人生に、そして一国の未来にどれほど深く影響を及ぼしているのかを再認識させてくれる、貴重な証言でした。
【編集後記】
ダルウィッシュ博士が語る「平和」の定義は、具体的で重みがありました。壮絶な記憶を乗り越え、笑顔で「日本は温かい場所です」と語るその強さ。知的な鋭さと慈愛を兼ね備えた彼の歩みそのものが、日本とシリアを繋ぐ一本の架け橋のように感じられました。ロータリー、そして一人ひとりのロータリアンの活動や支援が、誰かの人生を支え、やがて世界の平和を築く大きな力となる——その尊い連鎖を信じて、活動を続けていきたいと思わされる時間でした。
![]() ダルウィッシュ・ホサム博士 シリア出身 2005-2006年度 米山記念奨学生 世話クラブ 第2750地区 東京府中ロータリークラブ 2010年 東京外国語大学大学院 地域文化研究科 博士課程 JETROアジア経済研究所 新領域研究センター グローバル研究グループ研究員。 エジプト政治を中心とする、中東・北アフリカの現代政治、地政学、比較政治、国際関係論を専門とする。現在はナイル川流域における水資源の共有をテーマに、国際関係学の視点から研究、情報発信に取り組んでいる。 ロータリーファミリー支援委員会 インタビュアー:西 優希(東京昭島RC) 委員長:宮村 和加子(東京広尾RC)副委員長:杉浦 藤一郎(東京あけぼのRC) 協力:檜垣 慎司(東京愛宕RC) Rotary Family Voice 編集長:中前 緑(東京米山ロータリーEクラブ2750) インタビュー日時:2026年(令和7年)2月24日(月)10時 |
ロータリー米山記念奨学会とは
公益財団法人ロータリー米山記念奨学会は、勉学・研究のために日本に在留している私費外国人留学生に対し、日本全国のロータリアンからの寄付金を財源に奨学金を支給し支援する、民間の奨学財団です。
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