ロータリー米山記念奨学金

“Act Locally” 身近なところから変えていける 視覚障がい者が未来を選択できる世の中のために

2005-08年度にロータリー米山記念奨学金プログラムに奨学生として参加し、現在は、参天製薬株式会社の基本理念・CSV推進部で活躍しながら、自身の立ち上げたNPO法人で母国の視覚障害者支援を続けているアブディン モハメド オマルさんにお話を伺いました。

現在のお仕事や活動についてお聞かせください。

2014年に博士号取得後、6年ほど大学で教鞭をとりました。最初2年は母校である東京外語大学で特任助教をしながら、立教大学にて3年ほど非常勤で平和構築について教え、その後4年ほど学習院大学で客員教授として法学部政治学科で、主に中東現代政治、アフリカ現代政治、また英語で国際関係の授業を担当しました。学習院大学では学校側に提案し、「障害と開発」についてゼミ授業を行いました。現在は東洋大学国際共生社会研究センターにて僅かながら研究を続けておりますが、学生の授業は受け持っておりません。国立・私立の大学で勤務させていただいた経験から、様々な学生と中東やアフリカ政治について対話することができました。

私はかねてより「視覚障がい者の社会参加」をライフワークとして活動しています。200年前にフランスで発明された点字が視覚障がい者の学びの環境に革命的変化をもたらしました。そして、今日ITの進化により文字読み上げソフトを使うことで、文書コミュニケーションが取れる様になったという事は視覚障がい者の就労範囲の可能性を大きく広げるきっかけとなりました。今のこの瞬間は、人類誕生以来、視覚障がい者にとってもっとも社会活躍の機会が近づいてきた時代といっても過言ではないでしょう。これまでは視覚障がい者は「あんなことができない、こんなことも出来ない」とレッテル貼りをされていましたが、活躍するのに必要な技術的土壌ができていると思います。それにより視覚障がい者が質の良い教育を受け、しっかり働いて自尊心を高めることができるようになった時代です。その中で「人のマインドを変えて、いかに視覚障がい者が社会で活躍できるか」というのが現在の私のライフワークです。
2007年には、「特定非営利活動法人スーダン障害者教育支援の会/CAPEDS」を代表理事として立ち上げました。スーダン国内に限定はしていますが、スーダンの視覚障がい者を取り巻く環境を改善し、そこから社会進出を目指せるような活動も続けています。

そんな中で、現在の勤務先となる参天製薬株式会社(本社:大阪市)(以下Santen)と出会いました。点眼薬で有名な会社ですが、眼科医療で患者さんに貢献するだけではなく、視覚障がい者を排除することなく社会参加を後押しする活動を通して、視覚障がいを軸としたインクルージョン社会の実現を目指しております。その実施担当として2020年コロナ禍に転職しました。入社後は様々なプロジェクトに企画者や実施メンバーの立場でかかわりましたが、その中でも、2022年に企画・運営チームの一人としてかかわった「VISI-ONEアクセラレータープログラム」が印象深かったです。このプロジェクトは、視覚障がい者が直面する課題解決を入口として、そこから大きなマーケットにアプローチするという考え方の下で40以上の団体(スタートアップ企業、大学の研究室、非営利団体など)が参加し、多くの注目を集めました。応募企業との意見交換やコラボレーション、またプロジェクトメンバーで進める審査のプロセスが楽しく、多くの学びを得ることができました。
また、日ごろ、失明のリスクのある患者さんと向き合っている眼科医療関係者向けに講演会を実施し、視覚障がい者を就労や福祉へつなげる重要性を訴えています。
「目で見ること」に注目するよりは全体の「ビジョン」を大切にし、治療が必要な方、また治療ができなくなった方々に向けて色々考えていただけるような企画に取り組んでいます。

私がSantenに入社したのは、ある調査のお手伝いをした際に、Santenが掲げている理念やビジョンを知り、強い共感を覚えたことがきっかけです。「より良い薬を作ることもしかりですし、大きな視点で見ると、目の不具合による社会的経済的損失も減らしたい」という思いに大いに賛同しました。不具合を治すこと、良い点眼薬や薬を開発することだけでなく、さらにその予防にも力を入れています。治せない目の病気はまだ多く、視覚障がい者になったとしても働き続けること、視覚障がい者が様々な職種に挑戦できることが重要です。

これまでペーパーワークが中心の社会では、視覚障がい者がなかなか活躍することが難しいのが現状でした。しかし、近年、ICTの発達による社会基盤の電子システムへの移行、特にコロナ感染拡大以降は、ある意味視覚障がい者にとって大きなチャンスとなりました。画面読み上げソフトを使ってPC操作をしている私たちにとって、できる業務の範囲が格段に増えました。しかしながら、今なお会計など様々なシステムでユーザーが「見えること」を前提としてつくられているシステムが数多く見受けられます。パワーポイントの資料もそうです。そういったソフト・アプリ・システムなどを少しでも多く改善して、視覚障がい者でも対応できる様に変えていくことで、視覚障がい者の職域を開発したいと考えています。まずは自分が働いている会社で「視覚障がいを有する従業員の最適職場環境」を確立させてから、多くの企業に広げていきたいです。

私はこれまで視覚障がい者の社会参加の促進をNPOの活動を通じてやってまいりましたが、民間企業の立場でこのような活動をすることは、政府やNPOと違う切り口で取り組めることから、とても意義のあることだと考えています。Santenの目指す世界「Happiness with Vision」の実現と私の想いが重なり、会社とともに目指すビジョンを具現化できるプロジェクトに参画できることは、私自身に大きなやりがいを与えてくれています。

ただ現状では、失明宣告を受け、人生が大きく変わってしまった患者(視覚障がい者)が数多くいます。多くの場合は視覚障がいがあっても、リスキリングをしてできる仕事があったり、外出できたりする方法があるのに、情報が得られず、引きこもってしまうケースがほとんどです。Santenは一万近くの医療機関と連携していますが、私はそのネットワークを通じ、「たとえ失明したとしてもそれで人生が終わりではなく、新たなスタートになること」を伝えたいと強く考えています。

また私は2018年より東京都生活文化スポーツ局の多文化共生推進委員をしています。ここでは主に有識者を交えて、東京を外国人も住みやすく、活躍できるまちにするための課題について、都の政策に対して発言させていただいております。私の経験が社会に活かされる活動に繋がれば嬉しく思います。

一方プライベートでは、ご存知の方も多いかと思いますが、母国スーダンで2023年の4月に大きな紛争が勃発しました。私は、日本の皆さんに現状を知っていただくために、テレビや新聞を通じた発言活動も行っています。スーダンに住んでいた両親や妹も着の身着のまま国外逃避することになり、数か国を転々としながら、ようやく9月に東京に到着し、一緒に住めるようになりました。現在はスーダン出身の妻と、日本で生まれた3名の子供(長女中1、次女小5、長男小3)に両親・妹を加え計8名の大家族となりました。一緒に住めることになってほっとした半面、父は短期間に大きく環境が変わったことが影響し、患っていたアルツハイマー性認知症の症状が一気に重症化してしまいました。見えない夫と日本語の分からない妻と妹、それに認知症の父を抱え、役所や病院の手続き、寝るところから食事・衣類の世話、また子供たちの宿題の手伝いまで毎日が悪戦苦闘の日々を送っています。Santenは、テレワーク制を導入しているため、月のほとんどは在宅勤務とし、必要な時だけ日本橋のオフィスに出社するようにしており、介護の問題も抱えている私にとってはとても助かっています。

ロータリーで思い出に残る体験はありますか?

私のカウンセラーは速水 成夫さんですが、以前にラーメンを一緒に食べようと誘っていただいたことがあります。実は私は豚肉が食べられないからラーメンが食べられませんとお断りしたところ、あんな美味しいものが食べられないなんてもったいないと、わざわざご自宅に招待いただき豚以外の材料を使ってラーメンをスープから手作りで作っていただいたこといがあります。一緒に食べたあのラーメンの味は今でも忘れられません。その後もお寿司を一緒に食べるなど、カウンセラーとしてだけでなく友人のようにお付き合いさせていただき、可愛がっていただきました。残念ながら数年前に他界されましたが、様々な相談にのっていただき、教えていただいた速水さんには感謝しかありません。

また、米山記念奨学生として、ロータリークラブの例会に参加し、米山奨学生の時に何度も卓話で呼んでいただきました。いろんな地区で、たくさんの方と交流させていただいた中で、ロータリークラブの皆さんは自身の仕事で忙しいにも関わらず、週に一度集い、奉仕の話を熱心に語られる姿をみて、自分に何ができるのかいつも考えていました。奨学生期間が終わった後に、自分も視覚障がい者の社会進出のために何かやりたいと思い、学生なので時間はあるからと、「NPOスーダン障害者教育支援の会/CAPEDS」を立ち上げました。子供達や対象者が、パソコンが使えるようになったなどの話を聞くのは大変嬉しかったです。その後奨学生終了後5年近く経ち、スポンサークラブである東京国立白うめロータリークラブより、周年行事で何かスーダンでサポートできることはないかと連絡をいただきました。それ自体がとても嬉しかったのを覚えています。当時スーダンには盲学校が一校しかなく、教科書も隣国エジプトなどで印刷してもらっていて、圧倒的に点字教科書の数が足りていませんでした。スーダンではパソコンをつないで点字データをパソコンでつくる「点字プリンター」を必要としていましたが、手配方法や使い方などのノウハウもなく、当時一台150万円くらいの高額なものであったため現実的ではありませんでした。このような状況から、私はスーダンの盲学校に点字プリンターを贈りたいと考えていました。そのプロジェクトの成功率はわずか10%くらいでした。なぜなら、スーダンの教育現場における環境から点字プリンターが動かないとか、高い関税がかかる、教育省が動かないなど、失敗する要素が沢山あったからです。私もせっかくの記念事業なので失敗は許されないと思い、「成功する可能性は10%ですが、成功したらスーダンの視覚障がい者界に革命が起きます」と伝えたところ、最終的に私とその賭けにのることを決めてくれました。それがロータリー財団の補助金を使ったクラブ記念事業として決定しました。最終的にロータリアンたちがスウェーデンから点字プリンターを購入し、学校に導入し、そこで点字プリンターのトレーニングを受けた盲学校の先生3名(全盲)が、小学校8年分の教科書を全てパソコンで入力して、点字教科書を作ってくれました。その教科書が盲学校に通う子供たちだけでなく、普通の地域の学校に通い、点字教科書給付の希望のある視覚障がいを有する子供達に配られました。これがスーダン国内初の点字教科書がつくられるきっかけとなりました。貴重な1台の点字プリンターは驚く事に10年間故障しながらも修理を重ね使い続けています。購入元のスウェーデンの企業も保証期間外にも関わらず無償で修理してくれました。盲学校の先生たちの熱い思いもあり、おそらく数千人の視覚障がいの生徒に点字教科書を提供できることとなりました。しかし、残念ながら今の戦争で、その盲学校は民兵組織の拠点となってしまいました。大事な点字プリンターのことがとても気になります。ロータリアンのお陰と皆の思いで10年間使い続けられたことに感謝しています。皆さんが知らないところですが、数千人の生徒をサポートできたこと、そして私の提案に勇気を出して賭けてくれた国立白うめロータリークラブに感謝してもしきれない気持ちで一杯です。世話クラブとは今でも繋がりがあり、筑波に引っ越す前はよくクラブに遊びに行っていました。

何かをやりたいと思っても、何から始めていいかわからないし、忙しくなることなど不安を抱きがちだと思いますが、ロータリアンの皆様、特に職業人としてビジネスをしている方々が平日集まり、熱心に活動している姿を見て、「負けてたまるか!」という刺激を受け、私が一歩踏み出すための後押しをしてくれたことを今でも感謝しています。

東京米山ロータリーEクラブ2750加盟認証状伝達式基調講演

視覚障がい者の社会参加について、日本とスーダンの違いはありますか?

もちろん、設備や学習環境でいえば、日本ははるかに進んでいます。にもかかわらず、日本の視覚障がい者の社会参加においてまだまだ課題が山積しています。
そのうちもっとも大きな課題は、ずばり「社会的体験の差」だと思います。日本の場合は、障がいのある子供が特別支援学校か弱視学級などで学ぶことが多く、障がいのない子供と同じ教室で学び、友情を育む機会が限定されています。もちろん、教育上の配慮として、場合によっては、視覚障がいのある子供だけで学ぶメリットもあるかもしれませんが、多くのクラスメイトと切磋琢磨しながら育つ機会も重要なのではないか?最近は普通学級に通う視覚障がい児童が増えつつあるものの、学校外での学びの場(学習塾や運動クラブなど)やレジャー施設へのアクセスは依然として極めて限定されています。
体験の差、あるいは人的ネットワークを作れないなど、将来において障害のある子供が不利益を被る可能性が高いのが残念ながら日本の現状です。
一方で、スーダンの視覚障がい者の課題は日本とは真逆です。視覚障がい者が学ぶ環境はほとんど皆無であり、全国で特別支援学校はたったの一つしかなく、それ以外に小規模な学習センターが2、3か所あるくらいです。その結果、視覚障害を有する子供たちが普通学校に通うのですが、教員たちが全く障がいへの配慮のトレーニングを受けておらず、教員の個人の力量によって、視覚障がいのある生徒への配慮の濃淡が決まるといった具合です。
しかし、いいところもあります。普通学校で学び、たくさんの子供たちとの人間関係を育んだり、子供たちも自然体でこちらができないことに助けの手を出してくれたりします。たとえば、隣に座っている同級生が誰にも言われずとも、先生が黒板に板書した内容を教えてくれたり、追いかけっこの際に手をつないで一緒に走ったりします。もちろん大変なことが多いのですが、「学習環境」に関しては日本が優れているものの、「社会環境」となると、スーダンの方が数段上でしょう。
おそらく排除の構造が関係しているのではないでしょうか?スーダンのような、開発途上国では、障がいの有無だけが差別や排除の理由になりません。宗教、言語、出身民族(マイノリティー出身)や、経済状況、権力者との繋がりの有無が、障がいと横並び的に差別や排除を受けるきっかけになるため、なんらかの理由で被差別の対象となる場面が珍しくなく、それも非常に流動的です。言い換えれば、何等かの属性をもつことでマイノリティーにもなりうるし、別の属性ではマジョリティーだったりすることがあります。障がいがあるのに、普通学校が機能する地域で生まれれば、障がいがなくて、教育のサービスが行き届かない地方で生活する人と比べて教育の機会に恵まれるかもしれません。このようにマイノリティー概念の流動化により、必ずしも、障がいの有無だけが社会参加の濃淡を決定するファクターになりえません。みんながなんらかのハンデを抱えながら生きる道を探し求めるので相対的にみんなが横並びのスタートラインにたっているイメージです。
日本のような先進国では障がいのあるなしでの違いが大きいため、嫌でもマイノリティーであることを日常的に感じざるを得ない場面が多いです。「違うから別のクラスで勉強する」、「違うからみんなが通っているような習い事にアクセスできない」、「違うからみんながいる空間を共有できない」ことで、障がい者のことを身近に感じることもなく、障がいに対するステレオタイプなイメージがどんどん固定化してしまう。それによって、障がい者側が様々な形で社会参加の機会を剥奪されてしまうのではないかと思います。
ですから、日本の良いところをスーダンに紹介し、スーダンの良いところを日本に紹介することは、私にしかできない役割だと思っていますし、わたしの故郷である両国の視覚障がい者参加の促進をライフワークとしてこれからも取り組んでいきます。

ブラインドサッカーを今でも継続していますか?

はい、続けています。2016年に筑波に引っ越してから、筑波のチームに入りました。大きなお腹を抱えながら続けています(笑)私は2002年に友人に誘われてブラインドサッカーを始めました。コロナ禍でも全国大会を八王子(鈴木豪委員長の地元)で行っていて、有力チーム多摩ハッサーズというクラブは元々所属していた古巣のチームで、このチーム名は実は私が名付けました。たまハッサーズでは3回全国優勝させていただきました。2016年につくば市に生活の拠点を移しましたが、それまでに日本代表選手の黒田智成選手たちと14年間チームを変えながら楽しくサッカーをさせていただきました。現在 Avanzareつくばに所属し、細々とブラサカを続けています。

(c)H.Wanibe/JBFA
(c)H.Wanibe/JBFA
(c)H.Wanibe/JBFA

日本ブラインドサッカー協会よりいただいたアブディンのプレー動画
第21回 アクサ ブレイブカップ ブラインドサッカー日本選手権準決勝ラウンド(浜松)2023年12月試合
*動画4:15頃よりブラインドサッカーの説明。4:19頃より試合模様。9番がアブディン選手 4:29頃にアブディン選手のシュート動画

今後のビジョンについて教えてください。

平和構築と紛争予防を専門に勉強してきましたが、母国が大変な状況になってしまったなか、専門家として何も貢献できておらず、民間企業で働いていて良いのだろうかと歯がゆい思いをしております。まずは戦争で破壊された母国の復興にどうやって関わっていけるか。また自分の国だけでなく武力紛争のハードル自体がすごく低くなった時代なので、そこで何ができるかと常日頃から考えています。それに向けて自分がどう関わっていけるのか、目下模索中です。
世界が抱えている大きな問題について日々考えながら、しっかりNPOではスーダンの視覚障がい者教育支援を継続していきます。「Think Globally, Act Locally」を体現できればとおもっております。

これからロータリーのプログラムに関わる後輩たちへメッセージをお願いします。

一番大事なのは、自分の体験から生まれた課題を、自分の身近なところから変えていこうとすることが大切です。“Act Locally” まずそれです。“Think Globally”はなかなか難しいです。大きいことをやりたくても、まず身近なことろから取り組むことが一番大事で、それが後に繋がると思います。

昔の自分と今の自分、伝えたいことも変わってきています。このように憎悪が飛び交う世界が大変な時こそ、自分はロータリーの中に限らず、何かをしなくてはいけないと使命感を感じています。

どんなテーマでも構わないので、私がお話しすることで皆様のお役に立てることがあればご連絡いただけたら嬉しいです。

アブディン モハメド オマル

1978年、スーダンの首都ハルツーム出身。
米山記念奨学生年度:2005-08年
東京外国語大学大学院 2014 年博士号(平和構築
世話クラブ:東京国立白うめロータリークラブ
参天製薬株式会社 基本理念・サステナビリティ本部 基本理念・CSV 推進部 スペシャリスト 東洋大学国際共生社会研究センター 客員研究員

生まれた時から弱視で、12歳の時に視力を失う。19歳で来日し、福井県立盲学校で鍼灸を学んだのち、東京外国語大学へ進学。スーダンの南北紛争について考察するため、アフリカ地域研究の道へ。同大学大学院に進み、2014年に博士号を取得。東京外国語大学世界言語社会教育センター特任助教、学習院大学法学部特別客員教授を経て、現在、参天製薬株式会社に勤務する傍ら、東洋大学国際共生社会研究センター客員研究員として研究を続ける。エッセイスト、特定非営利活動法人スーダン障害者教育支援の会(CAPEDS)代表理事、ブラインドサッカーの選手としても活躍中。

著書:『わが盲想』(ポプラ社)
   『日本語とにらめっこ 見えないぼくの学習奮闘記』(白水社刊)

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